12・22 帰国子女あれこれ。日本に「帰る」の意味。の巻 【帰国子女エッセー(日)②】
2010の夏。
サッカーの大会が終わって疲れ果て、リビングで家族でテレビを見てる時だった。
「日本に帰ることになった」
親の転勤で引っ越すのは二回目だったし、若干察してたところはあった。
そのときすごいほしかったスパイクを買ってくれたし。
いつもより友達とも遊ばしてくれてた。
そのとき一番楽しい夏を過ごしてた。
だけどその裏側で、喧嘩が多い親がいつもより喧嘩が少なかったり。
二人でひそひそと長話していたり。
日本にいる親戚やら知り合いへ連絡してるところをよく見たり。
引っ越しフラグは立っていた。
だから引っ越すと言われた時は思ったほどショックではなかった。
ある程度予想していたから。
もちろん数週間強がった結果、友達とかと離れることを痛感し泣き崩れた時も。
でも親の仕事だし。
しょうがない。
ぼくになにもできないことはわかってた。
なにより、両親からしてはやっと。
やっと日本に帰れる。
ただやっぱりそこに大きなすれ違いが当時あったし、今でもある。
ぼくはアメリカで生まれ育った。
日本は僕の中で親戚がいる異国でしかなかった。
日本は旅行をしに行くところだった。
周りのアメリカ人と同じぐらいしか日本のことを知らなかった。
だからぼくからして、決して日本に帰るわけではなかった。
そう。親からしては日本に帰るだった。
だけどぼくにしては初めて日本に住みに行く。
それはそうだ。
その時点のぼくは15年以上アメリカで過ごし。
学校はずっと現地の公立学校へ行き。
友達もアメリカ人ばかりで。
英語より日本で話した時間が圧倒的に多く。
言語、教育、スポーツ、友達。
様々な場で、ぼくは日本語ではなく英語で過ごしていたのだから。
その時点のぼく、15歳半のぼくは。
紛れもなくアメリカ人だったと思う。
日本人でありたくなかったのではない。
日本人、そして日本の文化や風習が全く知らなかったから。
日本人でありようがなかった。
そんな人をどうあがいても日本人とは言えないだろう。
実際そのときは自分自身を日本人とは思っていなかった。
そして日本に行っても周りの人はぼくを日本人として見てくれなかった。
帰国子女という単語を見ると、国(日本)へ帰る子供。
ただ帰国子女がみんな日本へ帰る意識を持っているわけでもない。
もはや僕みたいに日本のことをほとんど知らない人も多くいる。
初めて日本の文化に触れるのが日本へ引っ越した時という人もいる。
海外生活の経験をある子供を一筆で帰国子女と塗り替えるのは残酷だと思う。
アメリカとかだけじゃなく、中国、東南アジア、ヨーロッパ、南アメリカ。
ぼくの知り合いの中で帰国子女とみなされている人たちは、いろんなところから来ていてみんながそれぞれ違う個性がある。
そんな多様性豊かなグループをそもそも一つのグループに分けれるのかすら疑問。
こう分けてる時点で結局は「普通の日本人」と分けられているだけだと思う時もある。
ただ一つ言いたいのは、日本が当時ぼくにしては帰る国ではなかったとはいえ、
日本過ごしてできた思い出が嫌いいうわけでもなければ
いまでも帰る場所ではないと思ってはいない。
それほどいろんな経験をした大事な場所だから。
ぼくからして、引っ越したことを「日本に帰った」ということは失礼でしかない。
アメリカで育った思い出や経験に失礼だし。
それ以上に日本に引っ越してからの経験にも失礼。
初めて日本にいったからこそぼくは苦しんだ。
よく泣いた。
でも友達もできたし、いつの間にかすごい楽しい生活を送っていた。
大学も日本のに行き。
そこでもまた多くの友達ができ、経験をし、思い出を作った。
日本で初めて住むことになったからこそ、こういう経験ができた。
だから日本には当時帰ってないと今でも言い切れる。
それは決して日本が今でも嫌いだからではない。
それだけ当時日本に行ったことが僕に多いな影響を与えたから。
逆に今は言える。
日本で5年ほど過ごし、いろんな思い出がある国。
今なら海外に言っても、日本はぼくが帰る一つの場所。
それはもちろんアメリカにも未だに言えること。
だけど、今は日本もぼくの帰る場所だとちゃんと言える。